この作品を観終わったあと、「面白かった」という一言ではどうしても片づけられない感情が、長く胸の中に残りました。
主人公のユミは、嘘をつき、学歴や経歴を偽り、見栄を張り、虚勢で人生を切り開いていきます。コンプレックスを隠し、必死に「理想の自分」を演じ続けるうちに、彼女は本当にその人生を手に入れてしまうのです。
決して「正しい主人公」ではないかもしれません。それでも、弱さを誰にも見せず、貧しさも、劣等感も、惨めさも、すべて心の奥に押し込みながら努力を重ねる姿は、強く、脆く、悲しく、そしてとても美しく映りました。
『アンナ(ANNA)』作品の基本情報
『アンナ(ANNA)』
- 放送年:2022年(韓国・Coupang Play)
- 配信:Amazonプライム・ビデオで配信中
- 原作:チョン・ハナ 小説『親密な異邦人』
- 脚本・演出:イ・ジュヨン
- 主演:ペ・スジ
あらすじ
才能はあるものの、家柄に恵まれない主人公イ・ユミ。
ある「小さな嘘」をついたことをきっかけに、彼女の人生は思いもよらない方向へと転がり始めます。
かつての勤務先の令嬢である「アンナ」の身分を盗み、華やかな上流階級の世界へ足を踏み入れていくユミ。嘘の上に築かれた完璧な人生は、いつ崩壊してもおかしくない緊張感に満ちていきます。
キャスト|ペ・スジとチョン・ウンチェ、二人のアンナが生む緊張感
イ・ユミ(ペ・スジ)
かつて「国民の初恋」と呼ばれたペ・スジは、本作でそのイメージを完全に封印しています。
貧しい生活に疲れ果てたユミと、優雅で冷徹な偽りの令嬢アンナ。この二つの顔を、繊細かつ圧倒的な演技力で演じ分けました。
特に、「嘘が露見するかもしれない」という極限状態で見せる瞳の揺らぎは、本作を象徴する瞬間のひとつです。数々の主演女優賞を受賞したことにも、深く頷かされました。
イ・ヒョンジュ(チョン・ウンチェ)
そして「本物のアンナ」を演じるのが、チョン・ウンチェ。
SNSでは「アンナそのもの」「この役は彼女しかいない」という声が多く見られ、高貴で洗練された佇まい、ファッション、言動、そして美しい英語までもが、“本物のアンナ”という存在を成立させていたように思います。
印象的なセリフ|嘘と欲望、そして孤独を語る言葉たち
『アンナ』という作品は、派手な展開よりも、登場人物の口からこぼれる言葉が、静かに心に残ります。ユミ(アンナ)の人生を象徴するのは、行動よりも、むしろこうしたセリフの積み重ねかもしれません。
「嘘をつくのは覚悟がいる」
一度ついた嘘を突き通すために、さらに嘘を重ねていく。その先に待っているのが、常に緊張と孤独に満ちた偽りの人生だと理解したうえで、それでも引き返さないという決意。この言葉には、単なる詐欺行為ではなく、自分自身をも欺きながら、「いつ崩れるかわからない幸福の虚像」を維持し続ける重さがにじんでいます。
「人は、一人で見る日記には本当のことを書く。でも、誰かに見せる日記には嘘を書く」
ドラマの中で語られる、人間の本質的な虚栄心を突いたセリフです。私たちはSNSや肩書きといった、他人の目に触れる場所で、どれほど「自分ではない自分」を演じているのか。そしてユミが、なぜ他人の人生を盗むという選択をしたのか。その動機を、これ以上なく端的に表しています。
「私はやりたいことは必ずやる。そう決めている」
幼い頃から負けず嫌いで、人一倍強い欲望を持っていたユミの性格を象徴する言葉です。この強い意志は、彼女をどん底から這い上がらせる原動力となりましたが、同時に、取り返しのつかない破滅へと向かわせる引き金にもなりました。
「結局、人は見たいものだけを見て、信じたいものだけを信じる」
アンナとして完璧な上流階級の人間を演じる中で、周囲がいかに簡単に騙されていくかを、冷徹に見つめた視点です。偽りの経歴や華やかな外見さえあれば、真実が何であるかは、世間にとってさほど重要ではない。その皮肉が静かに込められています。
「本当に望んでいたかどうかは、手に入れてみるとわかります」
嘘によって「大学教授の妻」という地位や、贅沢な暮らしを手に入れたユミが吐露する言葉です。必死に憧れの場所へ辿り着いたものの、そこにあったのは幸福ではなく、嘘が露見する恐怖と、愛のない冷え切った人間関係でした。手に入れた瞬間に、それが自分にとって無価値だったと気づく──虚栄心の虚しさを痛烈に突きつけるセリフです。
「一生懸命生きれば報われるという保証はないけれど、怠ければ必ず代償を払うことになる」
地道な努力だけでは越えられない格差の壁を、誰よりも理解していたユミの冷徹な人生観が表れています。彼女は誰よりも「一生懸命」に嘘をつき、誰よりも「一生懸命」にアンナを演じました。しかし、その努力の方向が歪んでいたがゆえに、最終的には破滅という大きな代償を払うことになります。不条理と因果応報、その両方を感じさせる言葉です。
「貧しい人々は、概して怠惰でせっかちだ」
生まれながらに富を持つ側が、貧困層をどのような視線で見ているのかを端的に示す言葉です。「努力が足りないから貧しい」「すぐに結果を求めて近道をしようとする」という、偏見に満ちたロジック。しかしこの言葉は同時に、結果を急ぎ、他人の人生を盗んだユミ自身をも、残酷に照らし出します。
誰よりも勤勉だったはずの彼女が、富裕層の目には「せっかちで、近道を選んだ貧しい人間」と映ってしまう。その皮肉は、ディレクターズカット版でより深く描かれ、ヒョンジュの傲慢な価値観と家庭環境を浮き彫りにしています。
これらのセリフが示しているのは、華やかな成功の裏側にある、「嘘を維持し続けるための絶望」です。『アンナ』は、視聴者に向かって静かに問いかけます。本当の幸せとは何なのか。本当に欲しかったものは、何だったのか──と。
『アンナ』韓国での評価・反応まとめ|視聴者とメディアのリアルな声
韓国では、Coupang Playというプラットフォームでの配信ながら、異例ともいえる熱狂をもって迎えられました。
「スジの再発見」との声
最も多く見られたのは、主演のスジに対する評価です。
「スジの人生キャラクターが更新された」という意見が圧倒的で、華やかなスター像ではなく、虚無感と不安を抱えたイ・ユミそのものだった、という声が多く寄せられていました。
階級社会への鋭い風刺
本作は単なる「嘘つきの物語」ではなく、韓国社会の不条理を突いた作品としても受け止められています。
本物のアンナの無邪気な残酷さと、偽物のアンナであるユミの凄絶な努力。その対比が苦しい、という感想も印象的でした。
ディレクターズカット版への支持
韓国では、6部作版と8部作のディレクターズカット版の両方が公開されましたが、視聴者の間では「ディレクターズカット版こそが真の『アンナ』だ」という声が非常に強く見られます。
心理描写の緻密さが、物語の深みを大きく変えている点が評価されています。
わたしも断然ディレクターズカット版をおすすめします。
ユミが、なぜここまで嘘を重ねなければならなかったのか、その心の機微が、より丁寧に描かれています。
どちらもAmazonプライムで観ることができます。
まとめ
『アンナ』は、単なるサスペンスドラマではありません。
それは、私たちが普段目を背けがちな自尊心、欲望、孤独の正体を、静かに突きつけてくる物語です。
韓国のSNSやコミュニティで見られた、こんな感想が印象に残っています。
見ている間ずっと息苦しいのに、アンナを応援せずにはいられない。彼女がつく嘘は悪いことだが、彼女を追い詰めた世界もまた正常ではないからだ。
個人的には、強いコンプレックスを抱えたまま生きてきた人ほど、このドラマに引っかかる瞬間があるのではないかと感じました。自分よりも優れていると思う相手に出会ったとき、少しでも「いい自分」を演じたくて、ほんの軽い嘘をついてしまったことがある。そんな記憶がある人なら、ユミの選択に、簡単には距離を置けないはずです。
どこかのシーンが、あるいは、たった一つのセリフが、不意に心に残る。
そしてその引っかかりは、きっと簡単には消えません。
人生のどのタイミングで観るかによって、受け取り方が変わってくる作品でもあります。若い頃に観たときと、少し時間が経ってから観たときとでは、共感するポイントも、苦しく感じる場面も違ってくるでしょう。そういう意味で、『アンナ』は何度でも観返したくなるドラマだと思います。
すべてを手に入れたはずの彼女が迎える結末を、ぜひご自身の目で確かめてみてください。そしていつか、続編やスピンオフという形で、彼女たちのその後が描かれる日が来ることを、静かに期待しています。
